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大学選び その3

 「大学選び その1」で、いまや本当に優秀であれば、大学に行く必要はない、という話を書いた。
 
 基本的にはその通りなのだが、当然、行く意味のある・あるいは行く必要のある分野もあることはもちろんだ。

 たとえば、研究室・実験室の使用が必須である分野、たとえば理系の一部などでは、大学に行く意味はもちろんある。

 大切なのは、ただやみくもに「絶対大学にいかないと!」と思い込まないことが大事だ、ということなのだ。

 さて、そんな分野も含めて、「行く意味のある大学」を選び出す方法について、さらに見ていくことにしよう。

 既述のとおり、必要な情報が容易に入手できる時代になったいま、わざわざ大学に行く意味がどこにあるかというと、それはある種“寺子屋”的な、マンツーマンの接触のある学習環境があるならば、ということができるだろう。

 これは、ひとつには教員との接触であるし、もうひとつは、学生同士の接触機会だ。

 前者を担保するのは、何にも増して教員の量だ。

 大学の定員と、専任教員の数は、大学のホームページなどをみれば容易に知ることができる。
 となれば、自分が行きたいと思う大学数校と、自分が行けないかもしれないけど憧れる大学数校の、「専任教員ひとりあたりの学生の数」を計算してみればよい。すると、おどろくほど、この数字に開きがあることがわかるだろう。

 教員の数が足らないと、いきおい講義は「マスプロ」になる。著名な大学でも、1000人単位の巨大な講義があるのだ。オペラグラスでも持っていかないと、一学期講義に通い詰めても先生の顔すら覚えられないということになる。そんなんであれば、ホントに冗談抜きで、インターネットの講義を聴いている方がいい。少なくともインターネットであれば、誰が聴くか分からない(自分の分野の専門家や師匠だって聴くかもしれないのだ!)という緊張感から、そうそういい加減な講義はしないだろう。一方、1000人の講義なんて、そこに出でいる学生だって大半は聴いちゃいない。教えるセンセイだって少なからず弛緩しがちなはずだ。だから、教員の数の足りない大学なら、たとえいまは有名大学であっても、ろくな教育は受けられないだろうし、早晩評判を落とすだろうという予測も付く。なかにはゼミに全員入れるわけではない、なんていう大学・学部も一部にはあるから(大学で学ぶ意義の半分以上はゼミのような少人数のインテンシブな訓練にあると言ってよいのだから、ゼミ抜きの大学生活など考えられない)、よーく調べておくことだ。

 あとは、学生同士の接触だが、これは学生に定常的な居場所があるかどうか、という要因にかなり左右される。物理的に定まった「教室」なり「研究室」があって、そこにいつも仲間がいる、そんな環境が望ましいのだが、現実には、少なからぬ大学で、学生は講義を受ける教室に移動して歩くだけで「いつもの居場所」はないのである。同じ大学でも、学部や専攻によって、居場所のあるなしが異なる場合もある。これは自分の行きたい大学の行きたい学部・専攻について、実際に確かめておくことができれば最善である。(逆に言うと、そこまで「取材」するだけの機動性があなたにあれば、どこの大学に進もうとも、あるいは大学に行かなくても、これからの人生を自ら切り開いていくことができると、私は太鼓判を押しておこう)。

 そこまでするゆとりと勇気がないのであれば、次善の策としては、教室の総面積を学生の数で割るか、校舎の総床面積(それすら分からなければ敷地面積)を「学生と院生と聴講生と専任教員と非常勤と事務職員その他の総数」で割った数で比較してみるとよい。数校を比較するのであれば、条件を揃えること。「学生ひとりあたりの教室面積」と、「大学内総人口で敷地面積を割ったもの」を比較するようなことには意味がないことに注意しよう。

2009/02/10(火) | 大学・進学 | トラックバック(0) | コメント(1)

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2009/02/11(水) 15:34:33 | | [ 編集]

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